Le Journal de Nori
6月12日 土曜日   引越しにつき

またまた引越しである。

もうほんとに引越しとは疲れるもの。 
・・・とわかっておきながら我が家の引越しはまだ続く・・・・。


今のだんなと一緒になって、まず引っ越した。
そう、一緒に住むためである。

パリ市内からパリ市内。
レンタカーでトラックを借りて、知り合いを集めて引っ越した。
私の荷物はたいしたことなかったけど、だんなのが!

何でこんなんまでとってんねん、ごみちゃうの、これ、これ、もうー。

というものをいくつ発見したか。
彼はどうやら何も捨てられない性分にあるようだ。
こういうのが一番引越しに合わない人である。

ま、今回だけやったらな。でもちゃんと片付けてよ、ほんまに。
というか、あの当時はまだラブラブだったはずだ。
そんなにまでは思わなかったような・・・。

・・・「はずだ」というのは、30歳をも超えたこの脳みそで憶えられることは限りがあるもので、忘れてしまっていることも多々あることを否定できない。


私たちが住んだのは、Bercy(ベルシー)地区でBercyの駅から徒歩3分。
新しくできた14番線もあり、とても快適に過ごせた。

・・・・・のもつかの間。

AirBus(エアバス)本社のある、トゥールーズへ行け、という指令がだんなの下に出たのである。

トゥールーズへは行ったことがある。
それは98年のサッカーのワールドカップのときだ。
旅行関係で働いていた私は日本から来たグループを引率した。

忘れもしない日本対アルゼンチン戦。
チケットが足りず問題になっていた試合だ。
もちろん私はスタジアムの外で待機だ。

そんなことはどうでもいい。

トゥールーズ、という町の名前をそのサッカーの時に聞いたのが初めてで、日本がそこで試合をしなかったら、その時までその町の名は知らなかったであろう。

行きたくなかった。
とにかく行きたくなかった。
しかもBercyからは絶対に離れたくなかった。

が、しゃあない。
Bercyにちょうど一年住んだ後、トゥールーズへと飛んだ。

はじめの家はただ大きかった。
だんなが大きい家に住みたかった、というのでその家を購入したのだ。

私は、新しくて、手のかけなくていい家がよかった。
たとえ小さくても。

そんな家も訪問した。
私はそこがいい!
といったのだが、金を出すのはだんなだ。
折れてしまった。

われわれの家は築30年。
30年というのは、古いものを大切にするフランスにおいてはまだ新しいものだ。
だが、手直ししなければいけないところは多々あった。

新しい土地へ来たというのに、週末は家の改造。。。
どこにも出かけられない!

そんなことをしてその家ではじめての冬を迎えた。

しかも、こんな南にしてこんなにさぶいんかー!

というほど寒かった。
近所の人も口をそろえて、
「これは普通じゃない、今年の冬は異常だ。」

春。

2か月分のガス代、電気代が来た。

なめとんのかー!!
うそつくなー!!

とだんなは電気・ガス会社に電話した。

間違いではなかった。

われわれは法外な暖房料金に驚き、そして週末をもっと有意義に過ごしたい、という理由から、引越しを決めた。

そこの家を売りに出し、(なぜ買ったのかわたしにはりかいできなかったが・・・。)今度は「私の言うこともちょっとは聞いてな!」と、借りることに。

家を見つけ、運良くあの家も売れ。。。
その家には11ヶ月住んだのみ。

新しいところは、前のところよりも近所の人との付き合いがあり、楽しかった。 
家も100%納得ではないが、かなり気に入っていた。(大家を除く・・・)

と、住んで3ヵ月後くらいに、台湾(台北)行きの通達が!
マジですか、マジですか、もう!

そして、 この時は、とにかく電気製品を売ろう、とした。 
なぜなら、電圧が違うからだ。
こちらで使ってる電気製品は変圧器を使わないと台湾では使えない。
めんどうなので、売る。
 
まずは知り合いすべてに声をかける。 
もちろんだんなの会社関係の人にはリストさえも送って。
  
 一番難航したのが私の車であった。 
 こればかりは、地元の情報誌に「売ります」広告を載せた。
私の車はフランスではほとんど見かけないオートマ車だった。  
これが売れるかどうかの不安につながっていた。  が、それはいとも簡単に売れてしまったのである。 
 ま、少し安く見積もって広告を出していたのがよかったようだ。

そして、4月になり、台湾行きはまだいつ行くのか分からないまま日本に一時帰国した。
実は、私は日本から直接台湾に行く予定にしていた。
だんなが引っ越して続きをすべてして、というか、会社が全部してくれるし、しかも、日本、トゥールーズ間を往復してしかもそっからまた台湾に飛ぶなんて、ばかばかしすぎる、という理由で。

しかも1歳半の龍ちゃん連れてたしなあ。
しんどいねん。

が、我々が日本滞在2週間目にだんなのボスから連絡が・・・。
「しばらくトゥールーズにいてくれ。」

なめてる、完全になめてる。。。

しかもこの日本帰国で、引越し業者にさらられたくないもの、夏服などスーツケースをパンパンにして帰ってたのだ。

・・・ということは、今回の日本でのお買い物はお預け。。。
悲しすぎるー!!
かなり、さぶい、かなしーのら!!


そして、しばらくその慣れてきた街、トゥールーズ、かと思いきや、

またか。。。。。

もうあきれて声もでない・・・・。


引越しをする、と聞いたのがいつだったかもう覚えてないけど、去年の10月くらいだったような。。。。  
そうだ! 新しい人がだんなのトゥールーズのオフィスに来てからの話だった。  
そう、それは10月末。 

アメリカからさらにボスのまたボスがやってきて、「フランクフルトはどうや?」 ときたのが今回の引越しの発端。  だんなはすかさず、OKを出した。  
でも、いつからになるかはまだ謎のままだった。

台湾行きのキャンセルの件もあって、なかなかだんなはそのボスの言うことを信じない。
いや、だんなだけではない。  
今回は、本格的に決まるまで誰にも口外しないでいよう、ということにした。 
言ってしまえばキャンセルになりそうな予感がしたからだ。

そして、本格的に決まったのが、今年に入ってから。(だったような。。。) 
家族のVISA、そしてだんなの労働許可がでるのがどうやら3月22日。 その日から出勤になるだんなに合わせ、引越しの段取りは急ピッチに進められていく。  

その週と、翌週に住処となる家を探した。
我々はその間、ホテル暮らしだ。

最初はフランクフルトの空港シェラトン。
が、ここはどうも長期滞在には向いてない。
冷蔵庫はなかのものを動かすとチャージされる仕組みになっていて、何も入れられない。
それに、空港にあるだけあって、窓も開かない。
息が詰まりそうだった。

いいことは、飛行機大好き龍ちゃんがいつ何時と飛行機の離発着を拝めるだけである。

3日後、我々は、フランクフルト郊外のアパートメントホテルに落ち着いた。
ここでなら料理もできる。

 合計10件家を見た。
そして決まったのが今住んでいる家、というわけだ。

だんなと知り合って、4件目の家。

私と最愛の息子、龍ちゃんは家を決めて、1ヶ月間日本でのんびり過ごした。

そして、今。
引越し荷物も片付き、慣れない土地、言葉、だが、いろいろな新しい発見できる環境の下に。


そして昨日、だんなは言った。

「ハンブルグに移動って話があるけど、どうする?」

無言のうちに彼に必殺飛び蹴りを食らわせたのは言うまでもない・・・・。


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