![]() 9月30日 木曜日 ナンバープレート変更 |
ここ、ドイツに越してきて半年が経とうとしている。
引っ越してきてしなければならなかったことは、数え切れない・・・ような気がする。
なぜ引越しというのはこんなにもいろんな雑用をしなければならないのだろうか。
電話、電気、ガス、水道、銀行・・・・・。
それならいっそジプシーにでもなって、住民登録の要らない生活を送ろうか、などと考えてしまった。
いや、ほんとはなりたくない。
幸いにもVISAは、だんなの会社の代行がやってくれる。
ドイツ語も話せないでそんなこと、やってられない。
そして、もう変更の期限が来よう、としているのが自家用車のライセンスプレートである。
だんなの車は会社から借りてるものだ。
フランスを離れるときは、そこで乗っていた車を返して、ここに来たら、すでにナンバーの登録を終えた新車が用意されている、という具合だ。
私の車は、会社のではない。
南西フランス、トゥールーズからだんなが2日掛かりで運転してきた日産ミクラ(マーチ)だ。
フランスからドイツに来たので、ライセンスプレートを変更しなければならない。
面倒だ。
でも、しないといけないものは、しないといけない。
これも、会社の依頼した会社から代理人が派遣される。
彼女は、この家を探すときに手伝ってくれた人だ。
英語を話すドイツ人のおばちゃん。
Theとか"th"の発音を日本人がカタカナ読みでするように発音する。
thisだと、ジス、thatだとザット。
はじめは冗談かと思った。
その彼女に私が直接電話をかけて依頼しなければならない。
彼女の電話はいつも留守電だ。
私はメッセージを残すのが大の苦手である。
日本語でも苦手なのに、英語なんかで残せるか、と、彼女に電話していながら何日も何週間も過ぎていった。
ドイツのVISAをとってもらったのが3月末なので、もうすぐ半年だ。
ライセンスプレートは住民になった後、半年以内に変更しなければならない。
変更しなければどうなるのだろう??
保険なんか面倒くさそうだ。
とりあえずだんなに彼女に電話してもらって、自宅に電話してくるように頼んでもらった。
そういう彼女はこっちがいないときを狙ってかけてくる。
留守電にメッセージが残っていた。
”Mrs、私よ。電話かけてきてね。”
しゃあない。
電話をかけた。
留守電だ。
仕方ないのでメッセージを残す。
そしてやっと彼女と話せて、翌々日、ナンバープレート変更をしに行くことを約束した。
その日。
8時に彼女は家に来た。
龍ちゃんを連れて行きたくなかったので、だんなが私が帰ってくるまでは家にいてくれることになった。
もって行くもの。
@ 車。
A Carte Grise(フランスの車の登録証)
B 免許書
C パスポート。
D 滞在許可。
といわれてこれだけ持って行った。
変更するところ(ドイツ語はやたら長い名前で、彼女は英語でなんていうのが知らない、といったのであの施設の名前だけはよく分からない。)へ行って、彼女が私の車の変更の旨を伝え、書類を出した。
一枚だけ足りない。
当たり前だ。
公式な手続きがこんなに簡単にできるわけがない。
一回目で全部OKなんてヨーロッパに来てから、なかったことである。
そのなかった書類というのは、D 私の車がヨーロッパ仕様であるかどうかということを示す書類 である。
ない。
彼女は、”車を買ったときにもらったはず!!! とにかく探して!!!”
といったが、そんなものはあるわけがない。
第一、私の車は去年、2003年の5月に購入したもので、EU諸国の標準の規定にあっているはずなのである。
しかも、実は引越しのときに捨ててしまったかもしれない・・・という考えが頭をよぎったが、ここはしらん顔を突き通す。
”そんなものはもらってないですよ"
というと、”うそつくんじゃないわよ!”
といわんばかりに食らいついてくる。
"買ったときにもらってるはずよ。”
落ち着け、おばちゃん。
とりあえず、家の中をくまなく探しておく、といってその日は別れた。
どこをどう探してもないので、彼女に電話をし、メッセージを残し、彼女の残した留守番メッセージを聞き、そして再びこちらから電話をかける。
”日産に行ってお願いしましょう”
ということになった。
その日は龍ちゃんを連れて行き、日産にお願いした。
ドイツ語しかできない。
運良くもある日産のディーラーは、ここの町と隣町の間にある。
車屋には子供をあきさせないためのおもちゃがある。
しかも、その規模は半端じゃない。
車を一台売るためには子供を黙らせておくのが一番なので、これだけあるのだろう。
だがこの国、ドイツは、結構どこに行っても子供の遊べるおもちゃがある。
銀行に行ったってそうだ。
靴屋もそうだ。
デパートの子供服売り場もそうだ。
隣町のクラフトショップの一階にもある。(しかもクラフトショップは2階だ。)
車のナンバープレートを変更するところにもおもちゃはあった。
一番あって欲しいところは、郵便局である。
いつ行ってもなっがーい列ができてるのに子供の遊びものがないので、エネルギーのぎっしり詰まった龍ちゃんにはただママとなっがーい列を並んでいるのは不可能である。
私もいったん並んだ列からは抜け出したくないので、いつも大声で"龍ちゃん!!!!”と叫んでいる。
なんやと思われても、私は龍ちゃんに対して生まれてきたときから日本語オンリーだ。
周りの人がどう思おうと気にしない。
話がずれた。。。。
お願いしたのはほんの数分。
だがその数分で遊びきれるおもちゃの量ではない。
おもちゃから龍ちゃんを放すのにかなり時間と体力、気力を消耗した。
いつものことなのだが。。。
日産にお願いして(何故かケルンの日産に彼らも依頼しなければならなかった。)、
その書類ができたらうちか、手伝ってくれている彼女に電話が来ることになっている。
・・・・・はずだった。
待てど暮らせど、日産から電話はない。
彼女に電話した。メッセージを残し、彼女のメッセージを聞き、またこちらから掛ける。
彼女に日産に電話してもらった。
なんと、”お金がかかるから、ほんとにいるのか分からなかったから、書類を依頼してないよ。”
という答えが返ってきたらしい。
じゃ、この前行ったときは、彼女は何を言ったの??
理解できなかったが今更何を言っても変わらない。
待つこと2週間。
うちに電話がかかってきた。
ドイツ語だ。
思わず英語、話せますか?
と聞いたら、かなり困っていた。
そして、英語のできる人がいたのだろう、日産だ。といった。
書類が来たのだ。
取りに行った。
そして手伝いの彼女に電話した。
今回もまたはじめからつながったわけではないが、省略。
またアポをとってナンバープレート変更をするところにいった。
今度こそは大丈夫なはずだ。
龍ちゃんも一緒に行く。
早く終わればいいけど。。。
にゃんと!
E 保険の書類 がいる。
というのである。
ちょっと待て。
フランスのままなんだけど。
この国のナンバープレートもないのに、この国でこの車の保険には入られへんやろう。
頭がくらくらした。
彼女はいろんなところに電話を掛けていた。
どこかは知らない。
掛け終わった彼女は、”誰もいなかったわ"
まったく意味を成さない。
私は、”同じ保険会社に直接電話したら?”
といった。
彼女はしてくれた。
そして、そのときのフランスの保険番号をつげ、その保険屋からFAXで、なんや書類を送ってもらった。
それでOKだという。
そして、今度は違う窓口を待つ。
そこでは、ナンバーを決めるのだが、そこの係りの人は今まで外国ナンバーからの変更を初めてしたので、何故かいろんな人に聞きに行き、やたらと長かった。
もちろん、そこにおもちゃはない。
これまた大声で”りゅうーちゃーーーん””と叫びとおした。
この国のプレートは、はじめのアルファベットは町、自治体を示すので選べないが、それ以外は選べる。
10ユーロくらいかかるのみだ。
ほとんどの人は自らのイニシャルや、生まれた年などをつけたりするが、そんなことはしたくなかった。
自分のイニシャルなんてあほすぎる。
だんなは、じゃ、龍ちゃんのにしたら?
といったが、それもあほすぎる。
とにかく、考えるのは非常に面倒だった。
でも、自分で言わないといけないのなら考えとかないと・・・・。
と思っていた。
が、気にしなければ、勝手につけてくれる。
勝手につけてもらった。
そして、そこの建物の前の道を渡ったところに、ナンバーを作ってくれるところだある。
そこでまずプレートを2枚作ってもらって、それらを持って、また施設に行き、同じ窓口に行って、また何か手続きをして、今度はまた違うところへ持っていって、ステッカーを2枚貼ってもらい、また道を渡って、車につけてもらう。
今度ははずされたフランスナンバーを持って、また同じ窓口へ。
本当は返さないといけないのだが、”記念に取っておきたい”と告げると、いいよ、とくれた。
あっさりしたものだ。
もちろんドイツのナンバーだったら、そんなことは許されないだろう。
ナンバーを変えた。
運転は変わらない。
でも、何故か運転しやすくなった。
道を譲ってもらったり、みんなやさしくなったような気がする。
フレンチナンバーのときは、ほとんどのドイツ人がかなりアグレッシブに運転していたように見えた。
フレンチナンバーのときは、うちの敷地内においていてもみんながそれをのぞくように見ていった。
そして、家の前でいろんな人は立ち止まり、郵便受けに書いてある名前を見ていった。
家の中も道を通りながら、背伸びするように見ていく人も多かった。
運転をしていて、みんなが優しくなったように思えたのはうそではなかった。
ドイツ人はフランス人が嫌いである。
逆もまた然り。
そんなフレンチナンバーの車、やさしくするわけがない。
しかも車の中身はアジア人だ。
結構怖かった。
駐車するのにも、隙を与えてくれなかった。
変更してから、運転しやすくなったことをだんなに告げると、
”そういえば、89年、パリから(だんなは当時パリに住んでいた)セバスチャンのところへ行ったとき、車を家の前に止めさせてくれなかったもんなあ。
彼らの家の車を出して、家の敷地の奥に入れさせられて、その前に彼らの車を止めたもんなあ。
’フランスの車があるというだけでその車はどうなるか保障できないんだ。’って言われたなあ。”
セバスチャンとは、北方ドイツ、ハンブルグに住む友人である。
こんなに違うものか。。。
半年もこんな思いをして車を運転してきた。
そうと知っていれば、とっととナンバープレートを変えていたのに。
やらなければならないことは、とっととやっておくのがいいようだ。
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